世界1位営業女子が教える幸せな共働き 

残業なし、有給100%消化、育休3回、欲張りに稼いで家庭時間命 外資系アラフォーママの軌跡

出来ない人は、やらないだけ。

私が嫌いな言葉に「無理」「できない」があります。

まずはやってみる、その後に出来なかったのであれば、まだ学びがある。でもやる前から、無理、出来ないって聞くのは嫌い。

 

私は長年法人営業として、無形商材(サービス)を扱ってきました。特に決まったモノというより、顧客のニーズに合わせて商品(サービス)を作り上げて、売るのが得意でした。年間2億前後の数字目標があり、トップセールスとして、特に出産後は子育て中で時間がありませんでした。

絶対残業をしないがモットー、早く帰りたいし、有給は絶対消化する。そのためにも数字は絶対でした。数字達成しないとすぐに解雇になりますし。

目の前で即日解雇される人も沢山見てきました。自分の限られた時間を一番自分に合ったやり方で、売り上げに繋げるように使う必要がありました。

 

出来ない営業(ウー)マンは何かと理屈ぽい人でした。

  

上長が「今月は最低20コール(1日1件訪問)はやれ!絶対の訪問数が少ない!お客さんに弊社、そして弊社のサービスを知られていない!とりあえず訪問回数は必達やぁ!(関西のおじちゃんでした)」と言うと、出来ない営業マンは、こんな調子。

 

「訪問するネタがありません。」

「やみくもに訪問してもお客様に迷惑です。」

「企画書なしに訪問してもアホだと思われます。きちんと準備するべき。」

 

上長は、「(企画書作ろうが)やり方は何でもいいから、とりあえずやれ!企画書の時間をかけすぎて訪問回数を減らすのはご法度!」と。

 

私は人に会うのは好きですが、じっとしているのが苦手。内勤業務がとても苦手でした。企画書を作るのもとても苦手でした。私が顧客の問題を仮定して、興味を持ちそうな企画書を時間かけてウンウン練るよりも、その練っている時間に3人お会いしたら、お客さんが課題を教えてくれる。その課題に沿って提案書(というより具体的な解決法と、そのための見積書)を作ったほうが、私には、売上まで早かったのです。

だってクライアントのやりたい事を聞いてもう答えを知っているわけですから。自分の作業時間も無駄なしです。なので上司の言う「とりあえず訪問数一定を守れ!」と言うのは、ごもっともと思っていました。だって会って聞かないとニーズもわからない。ニーズがわからないと次の手を打てない。出来るだけお悩み解決を提示(見積書と)する数は多い方が良いに決まってます。

やり方は何であってもいいので、企画書がないと訪問出来ない人は企画書を作れば良いわけです。

 

なんてったって私達サラリーマンなんですから。

 

何かあっても最終責任取ってくれるのは上司と会社です。もちろん1営業マンとしてお詫びしたり謝ったりはしますが、自分の会社ではないですし、会社の看板を借りて営業させてもらっているわけです。

 

とりあえずやってみて、うまくいかなければ戦略が悪いのですから、またやり方を変えたら良いわけです。上長のいう事を素直に聞かないなら、別のやり方でもいいから結果さえ出せばいいわけです。

 

でも出来ない営業マンは、それでも上長の悪口・愚痴で盛り上がります。そんな暇あればさっさと動けばいいのに。

 

言う事は聞かない、机上の理論は立派、でも結果も出さない。(笑)そういう頭でっかちで’立派’な人に限り、数字が追いつきません。

数字を上げれないのは、上司がアホなせい。上司の立てた戦略が悪いせい。上司の方針が悪いだの。やっぱり人のせい。

出来ないのは周りのせい。

 

出来ない人は、やらないだけ。

100年ライフ実践研究会 3月

週末は100年ライフ実践研究会として、初の私が主催するイベント、「好きな事で無理なく毎月10万円稼ぐ方法」の著者、山崎智子さんをお呼びした読書会でした!

 

これまで私は会社員としては、100人単位のセミナーを企画、日本でも海外でも仕切ってきましたが、個人でとなると別。自分で取り仕切るとなると、朝からソワソワ緊張しっぱなし。笑 

 

当日までには、普通にリアルの友達100人位に案内。恥ずかしくて、なかなか友達にすら案内が出来ない日々が続いたけど、日が迫っていたので、えいやとやり始めてからは、友達の反応と一緒に参加や問い合わせが少しずつ増えて嬉しかった。まさか友達も一緒になって集客を心配してくれ、手伝ってくれたり。本当に感謝しかない。とりあえずぎりぎりまで、教えてもらった通りやってみたので、ベストを尽くしました。

 

f:id:happywm:20190402004727j:plain

 

今回の初の主催イベントでは、もう一つ私のミッションが♪ パラレルキャリアの専門誌、エール通信のアンバサダーとして、エール通信(http://aile-official.co.jp/media/about/)を参加者の方にお配りする事。

 

女性には特に生き方に多くの選択肢がある中、どんな働き方をするか、どんな生き方をするか、主体的に掴み取るためのヒントになる冊子。私の研究会のミッションにも合っていると思う。

 

私も子供を持って11年、ずっと仕事辞めずに走り続けてきたけど、他の生き方、選択肢も持ってみたい。転職もこれまで3回してきたけど、会社員として以外で、また何か自分を活かして楽しくしたい!

仕事は効率よく回せるようになり、夫は言わなくても何でも出来るようになり(笑)、子供も気が付いたら一番手がかかる時期は過ぎていた。子供との時間はこれからも大事にしたいけど、でも限られた自分の時間は、精一杯自分を活かしたい。

 

昨日はとても熱量の高い方が集まって下さり、お悩みも色々!

参加してくれた方からはとてもポジティブなご感想を頂きました。早速参加後に、これまで躊躇していた発信をするべく、再度ブログを開設したとの報告も。

 

●バリバリ働いていたけど、今は180°違う生活、結婚して小さい子供が居る生活の中でも、自分の好きで働くを叶えたい!

●子育てを通じて、また印象の変わった自分、新しい仕事に特性を活かしていくには?

●既に事業をされているけど、発信、集客、ビジネス拡大展開どうしよう

●会社員として働きながらも、余力で好きな仕事も始めている!次にどう伸ばそうかな?

 

そして皆さんに共通する悩みが、発信について!

●必要とは思うけど、発信したくない。

●自撮りしたくないし。

●続かない

 

かくいう私も同じ悩み。でも人が思うほど誰も人の事なんて見ていないし、気にする必要はないという事。自意識過剰って事ね。。。

 

実際に、みんな掘り起こすとそれぞれ素敵なライフストーリーを持っている。もっと聞きたい話がたくさん!ネタの宝庫。盲点になりがちなのが、自分自分自分、自分のサービス内容、売りを発信する事に偏ってしまう事。それよりも、サービス提供をするにあたっての自分の想い、ビジョンを発信するのが大事と、教わりました。

 

かくいう私も、自分が一番ワクワクする事ってなんだろう。人と人を繋げるのは好きなので、こういった集まりで、参加者が喜んでくれるのは純粋に嬉しい。そんな輪をとりあえずコツコツ広げていきたいなと思う。

 

 

f:id:happywm:20190401183839j:plain

 

 

夫にも育休を取ってもらう③ 完結編

いよいよ夫の職場への根回しがスタートした。

 

夫の会社はこんな会社だった。

財閥系の超堅い老舗日系企業。社員は数万人、男性で、1か月単位で育休を取った社員は皆無。夫が取得すると第1号になる事は明らかだった。会社のホームページには、男性の育児を推進する、また女性の働き方もサポートすると大きく書いてあり、力を入れていきたい意向が見られた。

 

数万人のマンモス企業なので、物理的に育休を取れない事はないのではないかというのが私の見積もりであった。数か月先のお休みについて、上司と同僚への相談と理解を早急に得る必要がある。

 

ちなみに感情的で、はっきりものを言い、腹の中にある事は全て口に出してしまう私に対して、夫は非常に物腰柔らかく、穏やかだ。周りの敵を作らないタイプの夫は、基本的に職場では好かれているようだ。話を聞くのも非常にうまく、皆から嫌われるパワハラ気味の上司でも、夫はうまくコミュニケーションを取れる人だった。無口な我が父に対しても、ありとあらゆる会話のネタのボールを投げ、感じよく、話を引き出しているのを見ると、単純に凄いなと思う。

 

と言うわけで、私は夫さえ腹をくくれば、何とか育休取得までたどり着いてくれるだろうと信じていた。夫は、自分が育休を取得しなければならない理由を以下のようにまとめて上司に相談をし始めたようである。 

  • 保育所に1歳の時点で入れない事がわかった
  • 妻の職場が夫の会社と違って小さな職場であり、人手不足で私の復帰を切望している
  • 頼れる実家親戚がそばに居ない
  • 実母には障害があり介護が必要である
  • 4月に保育所に入所出来る可能性もあるので、実際の休みは1か月程になる可能性もある
  • その後速やかに復帰をする
  • 引継ぎは十分にする

 数か月後、夫の根回しが功を奏し、最終的には上司職場のフルバックアップの元、初の男性育休取得までこぎつけた!

 

夫よ、かっこいい!男性の育児を実践しているパイオニアとしてきっと社内報に載るのでは??次世代の若手後輩社員で、育児もしたいと密かに思っている人とか、きっと話聞きたいと思うよ。既婚の女子社員にも人気が出ると思うよ!

私は夫をヨイショしたてみた。

しかしながら、そもそも夫は、むしろそんな目立ちたくない、男が育休を取るなんて恥だと思っていたようだったので、特にこれは響いていなかった。やっぱり根っこは九州男児か?

 

ちなみに夫はあれだけ嫌がっていたのに、育休が始まったら育休を相当満喫していた。10年前なので、男性の育休自体が非常に珍しいため、保育園でも、公園でも、どこに行っても、育休を取ったと夫が話すと、皆から褒められ、チヤホヤされまくった。

私もいつも「理解のあるいい旦那さんね」と事あるごとに言われた。もちろんそのおかげで私も職場復帰したわけだから感謝している。復帰後の私の働き方についてはまた書こうと思うが、夫は基本的に、私が帰宅するときには、夕飯を作って、待ってくれて居た。子供の離乳食を作る、食べさせる、お風呂、おむつ替え、着替え、寝かしつけ。基本的なお世話はもちろんの事、良く遊びにも連れ出してくれていたので助かった。娘は夫に懐きまくった。可愛いに決まってる。

 

私は育休を「取らせた」自分は可愛くない妻だろうか。夫を昇進のレールから引きずり降ろしてしまった酷い妻なんだろうかと、時に不安になった。実際には日本では女性も大変だけど男性が育児をしたいと言う方がもっと大変なのはわかるから。でも私は夫婦共に働きキャリアを大事にして、かつ家族も大事にする暮らしを諦めたくなかった。誰かがパイオニアにならないと、変わらない。そんな強い思いで夫に育休を取ってもらった。夫の会社での立場はともかく、夫自身は育休を楽しんでいたので救われた。 

「いやぁー、ほんと子供可愛いなぁ。貴重な経験してるわ。育休取って良かったわ。ハッハッハ!!」

切り替えの早い幸せな九州男児の夫は、B型である。

夫にも育休を取ってもらう② はずが。。。妻がブチ切れた。

娘0歳、初めてお正月を迎えた後に、保育園不承諾通知が届いた。

当時の育児休業制度では、保育園に入れない際には休業を1歳6か月まで延長する事が出来た。夫には娘が1歳以降、最高で6か月休んでもらい、それでも空きがなければ、駅前の無認可保育所、ベビーシッター等、何か手を打とうと話していた。 

4月の新学期の段階で、何とか入れるかもしれないと淡い期待もあった。そうしたら実際に休むのは1か月だけになると夫には負担の少ない内容でも伝えてあった。 

本当に落ちちゃった。保育園、入れなかったわ。私もう復帰しないとだから、交代お願いね。でも、あなたが休んでくれたら、私はあなたみたいに遅くまでは働かないし、家族で夕飯食べられる日も増えるね。あなたと居られる時間も増える♡♡ 

夫は気まずそうに、なんとこの期に及んで無理だと言い出した。男が育休取るなんて聞いたことがないし、うちの職場ではとてもじゃないけど取れないよ。やっぱり無理だよ。。。

私は怒りと悔しさと悲しみが混じって、涙でぐちゃぐちゃになりながら声を荒げた。

どういう事?なんか上司に言われたの?

いや、、、、。違うけど。。でも誰も取ってるやつなんて居ないし。。。。そんなん取ったら俺会社で居場所なくなるわ。。

そもそも取る事にはならないだろうと、上司に打診すらしていなかったらしい。約束と違う。今になって無理とか意味わからない。休みを取れないじゃなくて、あなたが取ろうとしていないだけよね?仕事に関しては、私は既にもう妊娠期間からはかれこれ2年近く、ペースダウンしてきた。私の職場だって、誰も育休取っている人なんて社内に居ないし、私が第一号だよ。あなたの会社みたいに制度も整ってないけど、取れたよ。あなたの会社はきっちり法令順守もしている会社で制度もあるから問題ないじゃない。後は根回しだよ! 

夫はだんまり。無言を貫く。私も話しながら更にヒートアップしてきた。 

そもそも命がけで私、妊娠して出産したのだけど。お腹は膨らんでお腹の皮は伸びるわ、胸の形は崩れるわ、下半身のありとあらゆる人生初の不調に見舞われるわ、髪の毛は抜けまくったし。体重は元に戻っても、体型が変わって、授乳中は四六時中牝牛のような暮らし。

あなたは何も痛い思いもしない、体型も変わらない、薄毛にも悩まされない、せいぜい直面しているのは誰しも平等に訪れる、老いくらいよね?

私だって会社に対して復帰すると約束した責任があるのに。私の会社での立場については全く配慮なしですか。あなたは自分の職場での立場さえよければいいの?上司にも同僚にも嫌われたくない。で、妻には嫌われてもいいの?

会社と交渉した上で、時期的に今は難しいと言われたとか、何か理由があるならまだしも、まだやってみてもいないのに、無理なんてわからないでしょ。私が、ああそうなのねわかったわ♡、て引き受けるわけないでしょ!

 夫は目を合わせる事なく、おもむろにこう言った。

しかもなんやかんや言って、こういうのは母親じゃないの?母性があるなら、こういうタイミングでは普通は母親が子供をみるんじゃないの。 

私の怒りはピークに。普通って何?あなたが結婚したのは「普通」の妻ではなくて、この目の前に居る私なんですけど、ちゃんと向き合ってよ。全然会話噛み合ってないし。 

だから、お前も仕事復帰したらいい。子供はなんとかしたらいいだろ。俺が休まなくてもいいように。ベビーシッターに預けるなりして、2人とも働いたらいいだろ。もう育休取らなくてもいいだろ?

ベビーシッターに預けたら済む、そういう問題じゃなくて、我が家の方針として出来るだけ一緒に家族で過ごす時間を増やそうって同意してたでしょ。いい機会だって、あなたも言ってたじゃない。(号泣) 

夫が私の職場の立場についてどうでもいいと思っているわけではない事はわかった。でも自分が休むのは嫌だいう。私も働いたらいいから、自分が休まなくていい方法を考えたいと言うのだ。

それ今言うか?もっと早く言ってよ。 

夫は私が食い下がらず、また離婚を言い出しかねないので、渋々、タイミングを計って上司に話をしてみる事について、いったん同意した。

夫にも育休を取ってもらう① 超お堅い日系大企業で初めての男性育休取得者

私は夫には付き合い始めた頃から、妻である自分も稼ぐし一生働くから子育ても、家事も一緒に半々でやっていきたいと伝えていた。デンマークみたいに、パパも積極的に家事育児参加して、ママもキャリアを続けているような、そんな働き方をしたいと、常に熱弁していた。 

 

夫は穏やかな性格で、良く話も聞いてくれるし、そうしようと同意してくれていた。私はこの人と結婚して、共働きをしながら、一緒に協力して家庭を築いていけると信じていた。

 

子供が産まれても、産休育休はお互いに半々でとろう。稼ぐ以外の父親業もしてね。私の両親は離婚しているし、父は何もやらない人だったけど、稼いでいるだけで威張っていた。私はもっとお父さんと一緒に時間を過ごしたかった。私も稼ぐから、あなたには、ぜひ父親として子供との時間を大事にしてほしい。長時間労働でくたびれて過労しないでね。お互いに短く濃く働いて一緒に子育てしようと、事あるごとに話していた。結婚前も、そして結婚後も。 

 

ちなみに夫は九州男児で、2人兄弟の長男。義理両親は九州の田舎育ち。義父は、高度経済成長期の典型的な昭和サラリーマンで、転勤族で家には殆ど居なかったらしい。祖父母と同居で、家の事は全てお義母さんがされていたようだ。義母は専業主婦で家事も得意、家はピカピカだ。大黒柱が義父、その他は義母が担う、そんな感じだった。義父は家の事は一切してこなかった典型的な九州のお父さんで、家事は一切出来なかったようだ。義母は夫達が中学の頃からパートで働き始め、義父が退職後の今も続けている。現在の義父は少しずつ義母から家事を引き継いで、やっている。

 

義理両親は私の両親のように不仲ではなく、穏やかで仲の良い夫婦である。義母が何から何まで家の事を全てやるので、夫を含む息子2人は、家事を一切やる必要もなく育ったのは確かである。 

 

そんな夫に、自分の母親とは真逆の一生働きたい、なんなら夫と同じだけ稼ぎたい、手を緩めるつもりはない私と結婚するに当たり、共働きの覚悟があったかというと、今思うとなかったのではないかと思う。そこまで深く考えていなかったようだ。ちなみに夫は私の元気で快活なところを好きになったらしく、一緒に暮らしたら楽しいかなと思ったらしい、私と同じ熱量で共働きをしていこうとは思っていなかったようである(後日談)。

 私にとっては共働きを一緒にやっていける夫というのが、非常に人生において重要なポイントであった。しかし夫はいざとなれば、妻である私は異常な強い母性に目覚め、面倒な事を基本は私が引き受け、家事育児の主軸はあくまでも私になり、自分はサブとして出来る範囲でやればいいと思っていたようである。何だよそれ。。(実際にこのようなセリフをこの10年で何度も言われることとなる。) 

 

夫は結婚した頃勤めていた職場では、前述のとおり長時間労働だった。

rikarin.hatenadiary.jp

 夫はしかしながら、私が出産する頃には初めての転職をしていた。給与も上がり、社内制度も整った職場ではあったが、なかなかまたハードな職場だった(涙)

 

私が実際に妊娠した後、私は初めての妊娠でわからない事だらけ。夫の帰宅は遅く、頼りたい親は近くに居ない。近くに住む姉は、フルタイムで働いていて日常的には頼れない。

 

また当時、実母が脳出血を患い、3か月の入院。急性期を終えてリハビリ病院に入院中で、私は毎日仕事帰りに面会に行っていた。

 

育休については、夫と結婚前の約束通り、一緒に取ろうと約束。子供が1歳になるまで私が育休を取るが、1年後、長女が1歳の頃に復帰すると会社には伝えていたため、万が一保育園に入れない時は、そこから夫に育休を交代するという流れで夫は同意をしていた。

保育園のそばに引越しもした事だし、それがプラスに作用して保育園には入所できるだろう、だからなんやかんや言いながら夫が育休を取る必要はなくなるのではと、根拠なく私たちは思っていた。 

 

無事出産を終え、(10年前にはまだ珍しい、無痛分娩だった)、4日で退院。初めての赤ちゃんは女の子だった。退院直後から1人でマンション育児。母は退院していたが、右半身に麻痺が残り、これまでの日常生活が送れない事、バイオリンを以前のように弾けなくなってしまった事で、演奏家としての活動に制限が出た現実について、とても落ち込んでいた。高度機能障害(※)が酷く、毎日泣いてばかり。

母は新生児、孫に会ったら元気になるかと思っていたのだが、実際は違った。容態はひどく、私が母を頼る事はもちろんできず、母は非常に不安定だった。

脳出血脳卒中後の情動障害の一つ。麻痺が残ったり日常生活が送れなくなることで、絶望して鬱ぽくなった。

参考:感情障害(人格情動障害) - 高次脳機能障害情報のポータルサイト

 

私は寂しかった。育児書もなく、わからないことだらけ。しゃべらない赤ちゃんと2人きり。よく主婦の友達に電話をかけては、新生児のお世話でわからない事について、聞いて回った。妊娠中は仕事ばっかりしてて、妊娠学級などの市民講座にもあまり参加しておらず、私は赤ちゃんについての勉強不足だった。妊娠中から自分の事しか考えておらず、出産の痛みが怖いから無痛分娩については調べていたが、赤ちゃんの事は何もわかっていなかった。私は育児書すら準備をしていなかったので、産後に仲の良い友人がプレゼントに送ってくれた事はとても嬉しかった(涙)。

 

幸い私は無痛分娩のおかげか?ぎりぎりまでよく歩き働いていたからか?身体は元気だった。夫が出社したら、日中一人なので、産後1週間から普通に抱っこひもに娘をくるんで外出して、買い物やクリーニングに行く毎日。

 

産後10日後には、新しいマンションへの引っ越し。引越しは週末にし、夫はもちろんの事、姉夫婦も手伝ってくれた。

今思うと週末だけでなく、週明けも夫に休んでもらえるよう頼れば良かったと思う。。何をあんなに1人で抱えて頑張っていたんだ私。しかし夫は職場の人たちに非常に気を使い、有給取得を非常に嫌がる人だったので、当時は難しかったのだけど。

 

引っ越し後は段ボールに囲まれて、新生児と私の二人きりで葛藤する毎日。たまに働く姉が仕事合間に家に寄ってくれたりしていた。

産後の身体を休めることなく、普通にこれまで通りの家事を行っていて、自分の食事の世話から、夫の弁当まで作っていた。当時はまだ今ほどインターネットショッピングが当たり前ではなく、食材の買い出しも普通にスーパーに出かけていた。

 

夫は帰宅は遅かったものの、出産時は立会をし、また退院直後から夫婦で一緒に子育てをする事になったので、最初からおむつ替えも、ミルクをあげるのも、お風呂も一緒にやってくれ、順調に育児経験を積んでもらい、パパとしてのキャリアをスタートした。

 

今思えば私は若くて元気だったのと、誰かに頼る事を思いつかず、夫婦二人で全てやらなければならないという強い思い込みを持っていたと思う。また、出産して母親になっても、今まで通り、やりたい事も諦めたくないし、変わりたくないという思いも強く、弱みを見せたくない、見せられなかったのだとも思う。 

 

色んなネガティブな状況はあれど、一番幸運だったことは、娘は本当に良く寝る子で、おっぱいさえあったら大丈夫な子であったことだった。一度に寝る時間も長く、朝までぐっすり寝ることも頻繁。寝かしつけも大変でなく、ベビーベッドに置いたら、泣いてもそのまま寝付いてしまう、楽な子だった。初めての子育てにもかかわらず、じきに私はそんなに悲壮感もなく、大変と思う事はそんなになかった。

 

引越しをした事で、色々な買い物施設にもアクセスが良く、また友達も来やすい場所だったので、それもとても良かった。

 

娘が1歳を迎えるにあたり、予定通り、保育園の入所申請を行った。私の住んでいた自治体は地方の中核市で人口は50万人近く。それなりに都会で、都心部にアクセスも良く便利で人気の街だった。そのためか保育園もなかなかの激戦区で、特に0歳1歳については入れないと言う事だった。

 

私は保育所入所申請にあたって、何か差別化をするべく、第一希望の保育園に入りたい希望で隣に引っ越してきましたと、備考欄に書き入れ、熱意をアピールしたつもりだった。(今思うと、特に加点にもならず、意味はなかった模様。)

 

しかし、なんと、わざわざ引越しまでしてきたのに、あっさり娘の保育園は入れなかったのである。娘は早生まれで、年度途中の申請であったことが大きな理由であると思う。当時は知らなかった。

 

仕方がない、夫にいよいよ出動してもらわないとだ。

中小企業で初めての産休・育休を取得するまで②

rikarin.hatenadiary.jp

こちらの続きです。

私が具体的に行ったこと

 

1.厚生労働省の「働く女性の母性健康管理措置、母性保護規定」について調べて読み込み、規定一式を印刷して、人事HRへ手渡しをし、説明に行く

www.mhlw.go.jp

妊娠中に事業主が妊産婦に対してどのような配慮をするべきかが記載されている。悪阻で体調不調で通勤がスムーズにいかず、遅れる可能性がある事、休息が必要になる、また健診のために休むことが出来る事などである。

当時は勤務先ではまだフレックス制度もなく、営業先からの直行直帰も出来なかった。配慮をしてもらえる事で遅刻扱いにならない等、働きやすくなることは明らかだった。

 

2.産休育休に関しての社内規定がなかったため、夫の勤務先の会社のものを利用。夫の職場は、日本の一部上場企業で数万人社員が居る誰でも知っているような会社であったため、夫の会社の人事規定ポータルサイトから、産休・育休に関する規定箇所を印刷してもらい入手。これを私の職場の人事に提出をし、参考にしてもらうという試み。

 

3.夫の会社の産休・育休規定を参考に、私の会社でも同様の規定を作ってもらえるようお願いをする。今後、私だけではなく、後輩も妊婦になる可能性があるので、制度を整えていく必要性を訴える。

 

4.海外本社の人事部長が来日した際に、日本の人事制度についての現状について訴える。日本オフィスの子育てに関する人事制度を整えてほしいと直訴。

本社の人事部長に少しお茶をしようと声をかけ少し話をする時間を設けてもらった。日本オフィスにおいては産休育休制度が整っていない、また情報が少ない事について訴えた。

当時海外本社では400人程の社員がおり、やはり7-8割程が女性だった。常に誰かしら産休中の社員がおり残った社員のシフトをうまく組み、また人材補充でサポートしつつ、復帰後のママ社員も当たり前のように働けるようにしているし辞める人は居ないんだよと、教えてくれた。また日本以外の他のアメリカ・ヨーロッパ諸国のオフィスでも、同様であった。

人事部長は言った。「皆でサポートし合っているのはもちろん会社として当たり前だ、言うとおりだよと。僕からも日本の人事には話をして、協力するように声がけをするからね。」と力強いお言葉を貰った。 

私からは是非、日本でも本社のような企業カルチャーを浸透させて欲しい、なぜなら日本オフィスの社員の8割が女性である事、そして今後コアな人材リソースが辞めずに働き続けるようにするためには、制度を整えておく事と、社風としても働くママに理解がある職場雰囲気が必要だと。私を皮切りに、新婚の後輩の名前を伝えておいた。 

これによって以後日本の人事がとても協力的に親切になった。ついでに後輩にも非常に感謝をされた。

 

5.復帰を前提に、通勤時間を減らし、家族時間を増やすため、引っ越しを計画。当時住んでいたマンションより都心部に近いところへ引越しを決めた。保育園の真横に建設中の新築賃貸マンションを見つけたので、少々予算オーバーではあったが、妊娠中にそこを契約。完成するのが出産予定日の1週間後だったが、迷わず産後1週間後を引越し日に設定。実際に、産後4日で退院、1週間後には新生児を抱いて、里帰りもせず、引越しを決行した私。今思うと無謀な計画であった。

 

6.復帰後の計画について、細かく話し合いを進める。何か懸念事項がある度に、上司、そして人事、関係者にはこまめに情報共有。自分は継続して働く気がある事、やる気がある事。具体的に健康な子が生まれる前提ではあるが、いつ、どのような形で復帰するのかの計画、段取りについて逐次報告した。例えば以下のような事である。

●仕事する時間が制限される事が予想されるが、今より都心部に引越しして通勤時間が30分位になる事

●保育園に入るのが難しいと聞いていたが、引っ越しで保育園の真横に住む事で、保育園の送迎がスムーズになる予定である事

●1歳になるまで育休を希望しているが、万が一保育園に入れなかった場合は、夫に交代で育休を取得して貰う予定なので、保育園事情に関わらず、子供が健康な限りは、必ず1歳になったら職場復帰をするつもりである事を伝えた

 

上記1~6によって、私は社内初の産休・育休取得者となった。妊娠期は幸い結局終始元気だった私は、最終的に出産日の1か月前まで東京出張も月に数回こなしつつ、出産の10日前までクライアントと面会をして数字を上げていた。小さな会社がゆえに引継ぐ人材が決まらなかったからという理由もあり。私のお腹も小さかったこともあり、私の妊娠に臨月になっても気が付かないクライアントさんも多かった。

 

次は本当に保育園に入れず夫に育休を取ってもらう為に相当揉めた事について、書きます。

中小企業で初めての産休・育休を取得するまで①

これは2007年当時、私が20名の中小企業で、初めての産休・育休を申請し取得するまでの実際の行動記録である。

 

私が第一子を妊娠した2007年、私は仕事に飽きてきて、エネルギーが有り余っていた。新しい仕事をやってみたいなとか、転職しようかなとかそんな気持ちもむくむくと沸いていたが、転職したらしばらくは妊娠出産も出来ないだろうなと思ったため、せっかく居場所が出来たこの職場で子育てもしてみようと思ったのが、子供を持とうと思ったきっかけだ。(子供はそもそも3人最低欲しいと思っていた。)

 

私は割合すぐに妊娠した。私は以後10年にわたり、仕事にマンネリを感じるたびに妊娠→出産→育休でリフレッシュを3回繰り返した。

 

当時の私と勤務先の背景を以下にまとめる。

 

私:入社3年目。営業職、成績入社以来トップ、世界新人賞を皮切りに各種表彰実績、海外本社から招聘されて表彰式に参加、海外出張、国内出張をこなす。男性直属上司との仲良好、海外本社との人脈多く、関係良好。

 

勤務先:20名程の中小外資系企業の日本支社。(ちなみにその後10年で吸収合併を3回繰り返し、社名は3回変更された。最終的に300名程の会社になり、社内規定や諸制度も整っていった。)

新卒採用は行わず、欠員補充での中途採用メインの会社、平均年齢40歳~。将来子供を持ちそうだった対象者は社内で一番若いアラサ―既婚の私と、もう一人既婚の後輩。

外資系特有なのか、すぐに解雇になるのは日常茶飯事。昨日まで居た上司がいきなり来ない、部下が上司を360度評価した結果、解雇をする。数字を上げない社員を解雇する。また解雇の仕方が酷く、辞めた社員が会社に対して訴訟を起こすなどもよくあった。小さな会社だったからか、労務関連も整っておらず、恐らく解雇のやり方にも訴訟されるような突っ込みどころがあったのだろうと思われる。

 

妊娠出産子育てに関する社内サポート体制:社内規定は薄ぺらいコピー冊子、何年もアップデートされていない。産休育休取得者これまでなし。社員の7割が女性だが、独身が多く現役子育て中の人はゼロ。

 

職場の雰囲気:女性が7割の外資系企業、また業界としても比較的女性の割合が多く、堅い業界。

 

勤務時間・給与システム・働き方:定時9~17時、裁量労働制、残業代を含む年俸制。当時は営業職でも直行直帰制度もなく、基本的には9時にクライアントアポがあっても、その前に毎朝オフィスに行くのが規定だった。遅くとも20時には全員が帰社する。仕事が終われば、定時で帰っても問題なし。(さっぱりしたドライな職場。)

国内・海外出張あり、土日のイベント仕事が時に入ったり、22時頃まで残業したり、また自宅に持ち帰ってやるのも本人の自由。自立した社員が多く、休みは比較的取りやすいが、長期で取る人はそんなに居なかった。

 

人事担当者:産休育休実績がこれまでなかった事、そして当事者ではない事から優先事項ではなかったため、あまり理解がない。制度もなく、社内規定も揃えて居なかった。

妊娠が判明してから、社内規定を読めど、産休育休に関する規定もどっかからコピペしたようなもので不十分だった。そもそも前例がなく、切羽詰って規定を整える必要性もなかったため、人事担当者の優先順位も低く、彼女も今後社員への対応プロセスについて恐らく知識がなかった。

そんな彼女に私が最初に妊娠の事実を告げ、産休育休を取得した上で一時も早く復帰して働いていきたいと伝えるのは勇気のいる事だった。

忙しい中、該当する私一人の社員のためだけに動くのは面倒である事が予想され、産休育休取得まで持っていくには、前途多難だった。

そもそも2007年当時は、産後も働き続けることは、公務員や、看護師、医師等の専門職ではあったが、会社員をしながら産後もバリバリ働いている例が、超優良大手企業で制度が整っている会社で勤めている人以外では、なかなか私の周りには居なかった。

次の記事で課題的に私が行った事を挙げていく。